ロスタイムは始まったばかり


 左右に身体を動かし、相手DFを揺さぶる。
 目指すのは視線の先、相手のゴールだけ。
 左に展開している味方が大きくサイドチェンジ。相手DFの視線が一瞬ボールへと移る。今がチャンス。
 丁度あたしのニアサイドであるゴール前にはスペースが出来ている。でも、それは守るほうも同じ事を考えているはず。
 だからあたしはニアに飛び込むフェイントを一回かけて、ファーサイドへ走りこむ。
 味方もそのことをわかってくれたのか、ニアじゃなくてファーにボールを上げてきた。
 見えない線で繋がるあたしと味方。シンクロする呼吸。
 ボールはDFの頭を飛び越え、あたしが生み出したフィールドに向かってくる。
 チャンスは一瞬。DFは最初のフェイントにつられていて、第一歩が遅れている。完全無欠のどフリー。相手はGKただ一人。
 ――どうやって決める。
 胸でトラップしている余裕はない。個人技だってたかがしれてる。なら、答えはひとつしかない。
 走りこんだスピードを殺さないで思いっきりジャンプ。タイミングどんぴしゃ。
 浮かせるようじゃダメ。思いっきり地面に叩きつけるヘディング。絶対それしかない。
 キーパーの重心が左に寄ってる。ファーに打ち込むと読んだか。だったら、あたしは思い切りニアの狭いところ目掛けて思い切り叩きつけてやる。
 タイミング、感覚、その他諸々全部オッケー。勝ちたいの一身であたしは思い切りヘディングを叩きつけた。
 キーパーの反応が一瞬遅れる。ボールはキーパーの右手を掠めて行った。そして――





 無情にもボールはサイドネットを揺らしただけだった。










「お疲れ様ー」
「お疲れさまー」

 コン、とお互いのペットボトルで乾杯をして、一口口をつける。ファンタグレープが喉にしみた。隣に座ってるゆっこも同じみたいだ。少し肩を震わせて変な顔をしてる。

「やっぱ、炭酸は慣れないね」
「でも、好きなんでしょ? 普段飲めない分」
「うん」

 また一口、ぐびり。
 でも、続けてゴクゴクする気にはならない。普段の炭酸は試合に勝った日だけ、勝った自分に対するご褒美。でも今日は違う。

「……ゆっこ〜」
「なに、しーちゃん?」
「負けちゃった」
「……負けちゃったね」
「大事な、大事な試合で負けちゃった」
「うん、負けちゃったね」

 そう。あの後、ゴールキックと同時に試合終了のホイッスルがグラウンドに鳴り響いた。
 目の前で喜ぶ敵チームイレブン。泣き崩れるあたし達イレブン。
 あたしは悲しいとか悔しいとかそんなこと何も思いつかないまま、ただただボーっと立ち尽くしていた。
 で、今もなんとなく負けた実感はない。負けたという事実はあるのになんだかよく分からない。
 だって今も負けたことを繰り返して言って、理解していない自分に言い聞かせてるみたいだし。
 けど、悲しいってわけじゃない。でもその悲しいはもっと別のところ。
 『勝ち』とか『負け』とかじゃなくて違うカテゴリー。

「負けちゃったからあたしのサッカー人生も終わり」
「そっか。進学しないで実家のお蕎麦屋さんを継ぐんだっけ?」

 飲んでいたCCレモンから口を離し、思い出したかのようにゆっこは言った。

「うん。これでめでたく明日から苦しい修行の日々」
「大変だね」
「いいね、ゆっこは進学で。またまだ遊んでられるじゃない」
「そ、そんなことないよ。奨学金使うからバイトとかして家の家系助けないといけないし。そんなに遊べないよ」
「似たもの同士」
「うん、似たもの同士」

 そんなこと言ったら何かおかしくなった。ゆっこもおかしかったのか笑い出した。
 ひとしきり笑った後、空を見上げてみる。空には満天の星空が広がっている。

「ゆっこ。今日の試合楽しかった?」
「うん。負けたのは悔しかったけど、今まで一番楽しかった。しーちゃんは?」
「あたしも、うん、あたしも楽しかった」

 かみ締めるように言葉を言う。
 悲しいけど、やっぱ楽しい。きっと悲しいはきえないと思うけど、それ以上の楽しいがあればきっと乗り越えられる。

「よし」
「え、なに?」

 飲んでいたファンタをゴミ箱に投げ捨てると思いっきり立ち上がる。

「ゆっこ、いこっ!」
「へ、どこへ?」
「フットサル場がある西公園。この時間なら試合している人はいっぱいいるし、飛び入りで混ぜてもらおっ!」
「え、え、ちょ、ちょっと待ってよ」

 あたしはゆっこの返事を聞かないまま思いっきり走り出した。
 振り返るとゆっこもついて来てくれている。
 不意に目が合った。ゆっこは笑顔だった。その笑顔につられてあたしも笑顔になる。
 そしてあたしとゆっこは自然とお互いに手を伸ばして手と手を握り締めていた。
 このコンビニから西公園まで直線距離にして九百メートル。
 その間あたしはゆっこの手の感触を楽しみながら、どんなゴールを決めてやろうかと笑いながら考えていた。