天使の気まぐれ注意報


 きっと、きっとね。
 天使さんは意地悪なんだとボクは思うんだ。
 せっかく席替えで前から大好きだった男の子の隣になったかと思えば、その日の給食にはダイキライなニンジンがこれでもかというくらい鎮座しているし。体育のソフトボールで一打逆転のチャンスで見事な右中間を破るヒットを打って、一躍その日のヒロインになったかと思えば、次の算数の時間で居眠りしているところを先生に叱られ、しかもそういうときに限って好きな男の子に笑われるし。ホントーに最悪、天使さんのバカ。
 だけど、やっぱり天使さんはボクたちにラッキーをくれる神様の使いなんだと思う。
 そんなことを思ったのは急に雨が降り出した水曜日の放課後のことだった。





「あー、もう、最悪。朝のニュースじゃ今日一日晴れだっていってたじゃない」

 にわか雨を軽く通り過ぎて土砂降りになった空を見上げながら、ボクは一人呟く。
 ついさっき――日直のお仕事を片付けている間はにわか雨ぐらいの雨だったのに、ボクが教室を出て職員室に入る頃にはピカッと稲光が鳴り始め、ビックリしたのもつかの間、滝のような雨が職員室の窓を通してボクの視界に飛び込んできたのだ。
 しかも、ボクが教室に戻る頃には運動場は小さな浅瀬に変貌を遂げていたし、雨は斜め四十五度を綺麗に図ったんじゃないかというくらいこれでもかと窓にその存在を示していたのだ。傘を持ってきていないボクにここまで追い討ちをかけるのは酷だと思います。
 で、そんなわけでボクは下駄箱からこうやって途方にくれているわけなのだ。
 しかもこういうときに限って今日のボクは白地のシャツを着ているわけで、このまま雨の中を走るものならば、見事に透けることになるだろう。街中に縞地のスポーツブラをご披露するのは絶対に嫌だ。ていうか、もう近所を歩けない。
 ――まあ、だからと言って。

「雨がやむのを待つのも選択肢にないんだけど。ていうか、待っていたら学校に宿泊コースだよ」

 故に初めから傘、置き傘を持たないボクに選択肢なんてないわけでフラグなしの強制ルート。雨の中を家までの千二百メートルを突っ走ることしか残されていないのだ。
 とりあえず近所の人たちに色気の欠片もない縞地のスポーツブラを見られないようにするために背中にしょっていたランドセルを前にする。中の教科書やルーズリーフは多大な被害を受けるかもしれないが、この場合はしょうがない。
 今は勉強道具よりボク自身のほうが可愛いのだ。背中のブラの線は我慢しよう。微妙に膨らみかけた前を見せるよりも幾分ましだから。
 さて、出来れば誰にも見られたくないへんてこな格好になってしまったが、準備は万端である。これでも一年生の頃から校内のマラソン大会で十位以下の記録を持たないボクである。頑張れば千二百メートルの距離なんて十分もかからないだろう。
 鳴ることのないスピードガンを頭の中に思い浮かべ、勢いよく昇降口から飛び出そうとしたとき、ボクは後ろから今一番会いたくない人を声を聞いてしまった。

「あれ、相沢じゃん。こんな遅くまで何してんの……って、なにその格好、新手のギャグ?」
「え、いや、その、あっあははー。いやー、なんだろうね。ほら、最近相撲はやってるじゃん。こう琴欧州って感じに?」
「お前、相撲なんて見んのかよ。もしかしてでぶいのが好き?」
「んなっ、そんなわけないってっ! ボクが好きなのは……って、なに言わせるんだよっ!!」
「ちっ、相沢が混乱しているのを利用して、相沢の好きな奴聞きだそうとしたのに。誘導尋問失敗か」

 最悪だった。
 天使さんはボクになんか恨みがあるのでしょうか。キリスト教徒やイスラム教徒じゃないと天使さんはラッキーをくれないのでしょうか。浄土真宗じゃいけないのでしょうか。

「北川、そっちだってこんなに遅くまでなにやってんのよ」
「あ、おれ? おれは保険委員会の仕事で杉原先生の手伝いをしてたから」
「げっ、北川が真面目に委員会の仕事してるっ! 気色ワルっ!」
「だー、おれだってたまには真面目に仕事くらいするわい」

 結局、ボクの照れ隠しの結果、ボクと北川は言い争いになる。
 うう、ホントーは仲良く話をしたいのに、昨日どんなテレビ見たとか、その他諸々。
 そんなことを思っていると北川は僕の隣に来て、じろじろとボクを見る。
 やっぱ、ランドセルを前に背負うのは変なのかあ、見た目的にも文法的にも。
 嘗め回すとなると少し言いすぎだが、それくらいボクをじろじろと見終えた北川はボソッと、ほんとに何気ないが合っているくらいな感じで、ボクに言った。

「相沢、傘ないのか?」
「え」
「いや、だからさ、傘持ってないのかって」
「え、ああ、うん。そう、そーなんだ。ほら、朝の天気予報では今日は晴れ二重丸って言ってたから」

 ちょっと、いやかなり意外かも。北川がボクのことを心配してくれた。
 やば、かなり嬉しいんだけど。

「んー、そうだよな。おれもばっちゃが無理やり持たせてくれなかったら、相沢と同じことしたかもな。……流石にランドセルを前にするところまでは真似しねーけど」
「うっさい」
「へへ。まあ、いいや、良かったらおれの傘に入っていくか? 途中までだけどそれでも少しはましだろ」

 どんがらがっしゃーん。
 と、ボクの頭の中でいろんなものが壊れてシェイクされた。
 えと、ボクと北川が同じ傘。てーと、つまり、これは、世間一般で言う『相合傘』というものではないでせうか。
 や、これは天国の階段をエスカレータどころかエレベータで昇るくらい嬉しいけどある意味地獄だよ。
 もし北川と『相合傘』をしているところをクラスの誰かに見られたら、その後なんとなく気まずくなって……。
 あうう……、それだけは勘弁したい。ていうか、それ以前に、

「そ、そその気持ちは嬉しいんだけどさ、北川。北川の家ってさ谷町方面だろ、ボクんちさ井石なんだ」
「げ、全く逆方向じゃんか。むしろ校門出てすぐバイバイコースじゃんか」
「うん、だからね。北川の気持ちは嬉しいけど、ボクは――」

 走って帰るよ、と続けようとしたときなんか胸に押し付けられた。ランドセルを通してムギュって、ムギュ。AAからAにランクアップした胸がムギュされた。
 なんだろうと疑問が浮かぶ前にボクの前から北川は消えうせ、その代わりあるのは――。

「傘? ――って、北川っ!?」
「その傘、相沢に貸すよーっ! 俺んち走れば五分もかからないからさー!」
「だ、だけど――」
「フハハハハー! サラバー!」

 ボクに何かを言う間を与えることなく、北川は校門を抜け谷町方面に消えていった。
 その代わり僕の手元に残ったのは、彼が持っていた傘一本。呆然とするボクだけど、自然と顔が緩む。
 だってこの傘、北川のだもん。

「……やっぱ、天使さんているよね。信仰している宗教関係なくさラッキーくれるんだね」

 ハッピー度百二十%を軽く振り切ったボクは少し、ほんの少しだけ微笑みながら彼が無理やり手渡してくれた傘をそっと開いた。





「……なにこれ」

 あー、えっと、その、なんだ。
 なんというか只今ボクの思考回路はちょっと、いやかなりストップしてます。しばしお待ちを。
 まずは深呼吸を、すー、はー、すー、はー。
 ……うし、大分落ち着いた。
 落ち着いた頭でもう一回傘を見る。よし、今度は正気を保てた。そして、今一番疑問に思っていることを口にする。

「どこに行けば、こんなおすし屋さんにある湯飲みのような魚の名前が一面に散らばった傘が売ってんのよ……。これじゃあ、逆に恥ずかしくて道歩けないよ」

 やっぱし天使さんは意地悪なんだと思いました。
 でも、今日はそれ以上にハッピーがあったから、プラスマイナスで言うなら全力でプラスで言うことで。
 願わくは、明日もプラスな日をお願いします、天使さん。