case 4 中田悠太の場合


 僕たちの関係は幼馴染というものだった。
 でも、それ以上の関係はあの時からはじまったのだと思う




 あれは小学校六年生のときの出来事。
 僕と石川は家が近所だから、それに親が中学時代からの親友だからと言う理由から僕たちはよく遊んでいた。別にそれはおかしなことだと思ってなかったし、当然のことだとその当時は思っていた。
 その日石川は河川敷で拾ったと言う一冊の本を僕に見せた。当時の僕はまた石川がクラスメイトから手渡された少女漫画だと思い適当に相手しようしたが、目の前に出しだされた雑誌は全然違いもの。

「ねえねえ、ユウちゃん。これ見てよ、これ」
「えー、何……ぅわっ! こ、こここここれって……」
「うん、えっちな本」

 あっけらかんに話す石川に対し、僕は驚きの声しか上げることができなかった。
 当時の僕はそういうことには疎かったというか、年相応の男の子であったわけでいきなりエッチな本を見せられて冷静になんていられない。ドギマギするばかり。

「ユウちゃん。この本の中身、気にならない?」

 いやらしい笑みを浮かべながらにじり寄ってくる石川。むしろ見たいのは石川の方なんじゃないかと思う。
 でもそんな僕の考えは全力で無視して石川は残酷な提案をしてくる。

「気にならない? 気にならない?」

 僕だって健康の男の子だから、えっちなのことに興味がないというわけがない。小学生とはいえそういうことは友達の間でも話題に上がるし。
 結局、石川の興味に押し切られたというか、僕自身の興味に後押しされたというか、僕たちはえっちな本の鑑賞会を始めた。理由は片方かもしれないし両方かもしれない。

「うわー、えっちだねー」
「……うん」
「大人だねー」
「……うん」

 ページをめくるたびに頭を鈍器で殴られたような衝撃に襲われる。
 大人ってこういうことするんだ。うわ、こんな汚いところ。何もかもが全部衝撃なモノばかり。

「あたしたちもこういうことしよっかー」
「……うん――って、ななななななにいきなり変なこというんだよ」

 石川の言葉に頭の中が一瞬で真っ白になった。

「そう?」
「そうだよっ!」
「んー、興味持ったからあたしもやってみたいと思った、そんな好奇心なのにー」
「や、だから、ちょっと待ってって――」




 あのとき以来、僕たちの関係は続いている。
 気まぐれにキスをして、気まぐれに身体を重ねるそんな関係。
 そして、今日も――

「んっ、そこ気持ちいい……ん」

 寄りかかってくる石川に対し、僕は後ろから手を伸ばす。石川が着ていた服をずらし、ブラを外す。すると形のいい胸が現れる。
 僕は胸に手を伸ばし、いつものように愛撫をする。触れるように、なぞるように、それぐらいの愛撫が石川の好みだから。

「中……田ってさぁ。あたしの、気持ちいーところさぁ。いつもわかってるよ、ね」

 艶かしく吐息を吐き出しながら石川はそんなことを漏らす。石川を抱くときに時折聞かれることだ。
 その答えを出すことは凄く簡単だ。小さいときからいつも一緒にいたし、いつのまにか恋愛事に発展しない男女の関係になっていた。抱いた回数も一回や二回なんて片手で数えられる回数で収まりきらない。
 首筋にそっと舌をなぞり、僕は自身への戒めのように石川の質問に対し答える。

「付き合い……長いからね」

 首筋への愛撫で石川は完全に力が抜けていった。
 僕は石川をベッドに寝かせて着崩した服を脱がす。女性らしさを感じさせるふくよかな身体、しなやかな手足、柔らかさを残す抱き心地。石川の全てが僕の理想だ。本当なら感情の全てをぶつけたい、だけど――

「中田ってさー、あたしのこと全部知ってて――それにえっちだってこんなにいいのに。だからさー、中田と情熱的な恋とかそういうのが出来たらいいのにー、って思うのよ」
「そうだね。でも、いまさら無理だよね。……情熱的になんてね」

 それは戒めのように言った言葉。何度も何度も繰り返して刻み込んだ嘘の固まり。
 本当の気持ちなんて言えやしない、言ったところでどうしようもないこと。
 石川だって無理だと言ってる。それなのに僕だけがあーだこーだ言う資格も、理由も存在しない。
 だから僕の心の中で潜めていた気持ちはそのまま奥底にしまいこむ。二重三重に箱詰めして、茨の紐を巻きつける。

「はっ、ううん」

 石川を抱きしめて、僕自身を彼女の中に潜り込ませる。抱きしめた石川の身体はいつものように華奢で温かい。
 髪の毛を撫でてキスを交わす。このキスには『好き』とか『愛してる』なんて感情は存在してない。
 それはあのときずっと変わらないこと。

「あの、ね。あのね、中田ぁ」
「なに?」
「あたしね、ほんとは、今日ね。すっごく悔しかったの、淋しかったの」

 そう言い切るとまた石川は僕を抱きしめた。
 身体に抱きつくんじゃなくて、僕の頭に抱きつくように石川は僕を抱きしめる。胸が顔に時折当たって少しこそばゆいが、石川の顔を見たらそんなことも言ってられない。

「わかってる。わかってるよ」
「、うん」

 ずっとずっと昔から石川だけを見ていたから、

「石川はいい子だから」
「……うん、うん」

 きっと僕は石川以上に石川のことを知っている。
 慰めるように、舐めあうように身体を重ね合う僕たち。幼馴染という関係から見ては偏っていて、そして歪んでいるかもしれない。
 それでも僕はこの関係が良かった。零でも百でもない中途半端な五十な関係。恋人同士になれる感じじゃない、だけど他人にはなりたくない。そんな僕に丁度いい生暖かくて微妙な関係。それだからこそ良かった。

「中田ぁ、中田ぁ」
「何」
「お願い、ぎゅってして」
「……わかったよ」

 石川の身体をぎゅっと抱きしめると、より一層の密着感が出てくる。
 行為を続けていると石川の瞳に涙が目立ってきた。その涙は何を意味しているのか本人は分かっていないみたいで、流れてくる涙に石川はちょっとした困惑を浮かべる。だけどそれは僕も同じこと。僕も知らず知らずのうちに涙を流していて、石川の胸に一つ二つと雫を落としていた。
 気持ち良いのに悲しくて、情けないのに心地よい。そんな背反二律。
 それでもまた僕は幸せ一歩手前の絶頂感を迎えてしまった。
 僕たちのセックスの間には甘いものとかキレイなものとか、そんな少女漫画的なものは存在しない。存在しているのは幼馴染の生温い安らぎから抜け出せなくなった情けない二人。
 呼吸を整えている石川に対しキスを求める。重ねた唇はほんの少し甘くて、ほんの少し悲しかった。
 唇を甘く悲しくしたのは、石川が流した涙かもしれないし僕が流した涙なのかもしれない。




「うーー、やっぱさー中田ってあたしのことをわかりすぎなのよー」

 行為を終えた後、シャワーを浴びた石川は僕に向かってそういった。
 濡れた髪の毛を僕に拭かせて、自分はパックのオレンジジュースを飲んでいる。その辺りの横柄さも昔から変わってない。
 だけど僕はこうやって石川の髪の毛を拭くのが好きだったから文句を言う気にはならない。石川の髪の毛をいたわるように丁寧に水気をふき取る。

「だって、付き合い長いじゃん。いろんなこと分かるよ」

 ずっと見ていた。
 だからこそ、石川が気づいていないことも知っている。

「はぁ、やっぱあんた以上の男を探すのは難しいや」

 下を向いて溜息をついているときは諦めるとき。

「あ、ごめん。そろそろ時間だ」
「そうなの。あたしはここで寝てるから別に急いで帰ってこなくても良いよ、ゆっくりしてきなよ。それにあたし留守番得意だし」

 言い訳付いているときは元気がないとき。

「うん。けど用なんてないから早めに帰ってくるよ」

 僕は石川の頭を撫でるとレポートをバックに入れて衣服を整える。
 石川はベッドの中にもぐりこむと少し呆けていた。

「それじゃ、行ってくるよ」
「あ……」
「ん、何?」
「あー……、えと。あんたみたいな男は早く彼女作りなさいよー」
「はは、そのうちにね」

 それはよくある軽口かもしれない、だけど僕にとっては凄い重い軽口だ。
 本当に石川への思いを諦めるれるものなら、最高なのかもしれない。そうすればきっと今より楽なのかな。
 何度もそう考えたのに、諦められない僕がここにいる。全く持って因果な自分だと思う。




 今日提出のレポートを出し終わり、石川に言ったとおり何にもやることがなかった僕は途中同じゼミ仲間と話し込んだ以外他に何もせず、石川が眠っている自分の部屋へと真っ直ぐ帰った。
 一応、時間も時間だし夕飯の材料を買いに近所のスーパーに寄ったけど。まあ、これは寄り道にはならないか。
 済んでるマンションの前まで来ると、丁度石川が降りてきていた。

「あっ」
「あれ、起きてきたん――」
「な、中田さんっ!」

 石川に声をかけようとするとマンションの脇から女の子が飛び出してきた。
 ショートカットで贔屓目で見ても結構可愛らしい。その女の子は僕の目の前に立つと、恥ずかしそうな面持ちで僕の顔を見つめてくる。顔なんてまっかっかでいつ火が出てもおかしくないくらい。
 ……って、この子って。

「あ、あのっ、同じゼミの滝下ですっ。前に合コンで一度――っ」
「あ、うん。覚えてる」
「はぁ――、良かったぁ。覚えていてくれたんですね」
「そりゃ、同じゼミだし」

 そうだ。ちょっと前にゼミの企画で行なわれた自己紹介を兼ねた合コンで一度だけ会った、というか見た女の子。
 席も離れていたし、学年も違うからその時はあまり話さなかった彼女がどうしてまた。

「あの、それでですけど。前から……合コンではあまり喋れなかったんですけど、気になっていたんで……。それで、あのっ。もし良かったらお付き合いしてもらえないですか」

 え、と。
 なんか一瞬だけ時間が止まったような気がする。
 目の前の滝下さんが僕に告白してきて。
 でも、僕と滝下さんはまえに一回だけ、それもほんの少ししか話してなくて。
 というか、マンションの入り口には石川が立っていて。
 この距離だとこの会話ももちろん聞こえているだろうし。
 何がなんだかよく分からない。
 告白をして答えを待っている滝下さんは下向いちゃっているし、僕は何がなんだかよく分かっていない。そんな中、マンションの入り口に立っていた石川が止まった空気を動かすように僕の側に寄ってきて、

「良かったじゃん」

 僕の胸を裏拳で軽き叩きながらそう言った。

「……、良かった?」
「うん、良かったよ」

 ――何が、良かった?

「そりゃそーよっ、中田ってさ今までいなかったでしょ。あたしと違って」

 石川は僕が固まっていることになんて気づかずにドンドン話しかけてくる。

「あー、いいな、告白されるなんて。あたしなんか告白する専門よ。……それに彼女、あなたも見る目あるよ。この人って彼氏にはお得よ、気が利くし、優しいし。よほどのことを言わない限りわがままだって許容してくれるしね」

 あれ?
 今の石川、言葉が多い。

「こいつに対して愚痴とかできたらあたしに相談してよ。こう見えても幼馴染だから何でも知ってるし、あなたの味方になるよ」

 言葉が多いときの石川は――無理をしているとき。

「滝下さん……」
「は、はいっ」
「ごめんね」
「!?」

 僕は答えを出すように後ろから石川を抱きしめた。
 信じられないものをみた感じに滝下さんの顔が変化してすぐに泣きそうな顔になった。そのまま百八十度回転して思いっきりダッシュ。
 そして、僕の腕の中にいる石川というと。

「えっ、中田っ!?」
「あーあ、後でちゃんと滝下さんに謝らないと、このままじゃ駄目だよね」
「えっ、あっ、ていうか、これってどういうことっ!?」

 しっかりと混乱してくれていた。
 石川のことを考えるとこれも予想通り。

「そうだね。僕も、僕もね、石川が言ったとおりドラマみたいな恋って無理そうだと思っただけだよ。それに他の女の子より石川と一緒にいるほうがいいから」
「やっ、ちょっと待って。あんたってあたしのこと好きだったのっ?」

 僕と石川は幼馴染だ。
 昔から石川のことを見ていたから石川以上に石川のことを知っている。

「んー、そうなのかなぁ」
「でもあたしまだあんたが一番とかどうか分かんないしっ。んでっんでっ、今以上というのもいまいちピンとこないしっ」

 だから、

「いいんじゃない、今まで通りで」
「えっあっ、あんたはそれでいーのっ!? いーのっ!?」

 だから、石川が気づいていない気持ちになんとなく気づいたんだ。

「僕は問題ないと思ってるけど、石川は?」
「だ、駄目じゃないけどっ、でもっ!」

 きっと僕達の関係は幼馴染以上、恋人未満で続くんだろう。こんな生温い関係は心地よいけど、もどかしい。
 それでもこのペースでいいんじゃないかと、僕はなんとなく思う。
 
「じゃ、とりあえず晩ご飯にしよっか。今日はサバが安かったからサバみそ煮ね」
「うんっ! ……はっ、いや、そうじゃなくて――」

 ――それともう一つ、


 石川が必要以上に声を荒げているときはすごく嬉しいときなんだ。



[END]