case 2 藤原さつきの場合


「本当にいいの?」

 あたしの肩に手を乗せながら、おじさんはそう言う。。
 学校帰り、適当なテレクラに電話して引っかかったおじさんは同じ言葉をすでに四回、いや五回はあたしに聞いてきた。正直、うざいんですけど。

「私が言うのは何なんだけど、君みたいないかにも真面目そうな子がさ、こういう援助交際なんて事をしているなんて」

 知らないよ、そんなこと。
 やっている本人だってなんでこんなことやっているかわかんないし。
 おじさんの問いに答えるのも面倒くさくなり、あたしは視線を上に向ける。
 夜の繁華街はネオンの光がまぶしくて、空は真っ暗なカーテンが引かれていた。
 真っ暗な闇。
 どうせならあたしの悩みも全部、繁華街の夜空に溶け込んでしまえばいいのに。
 だけど、えてしてこういう時は事態は悪いほうへ悪いほうへと進んでゆく。
 例えば授業中、予習をたまに忘れるとそういうときに限って先生はあたしを指名する。
 例えば買い物中、目当てのものを買いに行こうとするとそういうときに限ってその商品は売り切れ。
 だから、今。
 あたしにとって一番会いたくない人が目の前にいる。
 学校指定の制服、黒色のコートを羽織り首には白いマフラーを身に着けて、一番見たくない人がスクランブル交差点を挟んで向こう側にいた。

「あ……」

 無意識で声が出る。
 突然の出来事だから、あたしの頭は真っ暗から真っ白になる。
 下を向いていた遠藤が顔を上げ、視線が合う。
 それなのに彼はあたしと隣に立つおじさんなんて特に気にしないまま、スクランブル交差点の人ごみの中に消えようとしていた。

「――まっ……待って!」

 彼が見えなくなるその瞬間。あたしは自然に彼を呼び止めようとしていた。
 さっきまで一緒にいたおじさんの存在なんてあたしの中に一欠けらも存在しなくなり、さっきまで援交をしようとしていた自分の存在も繁華街のネオンに溶け込んで、学校の中にいる優等生の自分に戻っていた。
 人ごみをかき分け、先を進む遠藤の元へと走り寄る。
 だけど彼は人ごみの中を歩くのがよほど上手なのか、じわりじわりとしか近づけなかった。
 走るたびに人にぶつかる。
 酔っ払い。
 女子高生。
 ホスト。
 キャバ嬢。
 繁華街の縮図みたいな人たちにぶつかり、怒鳴られようともあたしには関係なかった。
 今はただ、遠藤を呼び止めたくて――

 気がついたら繁華街から一本ずれた、薄暗い横道であたし達は向き合っていた。

「はあ、はあ、はあ。はっ」

 遠藤に追いつくために走ってきたから息が切れる。
 体育の授業中でもこんなにも真面目に、一生懸命に走ったことが無かったらから呼吸がまともに出来ない。
 苦しいけど、辛いけど、遠藤に追いついたからちょっとばかしあたしの顔に笑顔がこぼれた。

「ハハ……、何でまた、会っちゃうのかなぁ。……偶然って、怖いね」
「俺ん家、この近くだから」
「そ、そうなんだ」
「知ってたんだ。藤原が俺に気づく前からさ、何度かこの繁華街でおじさんと歩くのも見たことあったし」
「……そう、知らなかった」

 淡々と話す遠藤の言葉に驚きを隠せないまま、あたしは「そうなんだ」と「知らなかった」としか答えるしかなかった。いや、それしか出来なかった。

「……あのさ、藤原」
「な、何」
「家、来るか?」

 それは遠藤からの突然の申し出。
 遠藤の言葉はあたしの心に深く刻み込まれた。

「この先に見えるマンションの十三階。それにウチの親、帰ってくるの遅いんだ」

 誘い文句にしては下心と丸見え。それにあたしと遠藤とはそんな関係でもない。
 それなのにあたしが出した答えは首を横に振るものでなく、縦だった。





 薄暗い横道から歩いて三分。
 二十階以上はあると思えるマンションの中に遠藤に連れられて入る。
 入り口はオートロックで周りをキョロキョロしてみると上のほうに防犯カメラがみえる、なんか凄い。
 いかにも高そうなマンションに住めるって遠藤の家ってお金持ちなのかなぁ、と思ってしまう。
 何、こんなときにこんなことを思っているんだろう、馬鹿みたい。
 マンションのロビーに入ってエレベーターに乗る。
 それまでの間、あたし達に会話は無かった。いや、ここに来るまでもそうだった。
 元々遠藤はお喋りのほうでもないし、あたしもそう。
 それになんとなく話すのが気まずかったのもある。
 結局、彼の家の中。それも彼の部屋に通されるまであたし達の間に会話は生まれること無かった。

「こっち。適当に座ってよ」
「あ、うん」

 部屋のドアが開けられて、あたしの目にはある一つのものが一番に目に付いた。
 窓の近くにひっそりと、それでいて存在を十二分にかもし出しているもの。
 あたしは座る場所を探すということもせずに、それに近づく。そして、触れる。

「……天体望遠鏡。遠藤って、星が好きなんだ」
「ああ」
「じゃあさ、前に話題になったしし座流星雨ってのも見た?」
「見たよ。見たときは馬鹿みたいにはしゃいでたけど、今考えるとそう大したものじゃないけど」

 なんとなく見つけた話題で今さっきまでの気まずさを振り払うように遠藤に話しかける。
 だけど遠藤はさも普通のように答えて、着ていたコートをベッドの脇に脱ぎ捨てた。

「――へぇ、でも凄いよね。しし座なんてものすごく遠いところから、星がこっちに向かって飛んでくるなんて」
「別にしし座から飛んでくるわけじゃないんだよ、あれは。ただ方角がしし座がある方角なだけで」

 遠藤はベッドに腰掛け、さっきよりかは幾分生き生きとしながらあたしに話す。
 初めて知った、こんな風に生き生きと話す遠藤。
 身振り手振りを使って、本当に楽しそうに。

「アレってさ、彗星の軌道上に地球が入るんだよ。それで彗星がばらまいた塵が、大気圏に飛び込んで燃え尽きるときに流星って奴は光るんだ。後――」
「……詳しいんだね、星のこと」

 あたしの言葉で遠藤が我を思い出したように顔を上げる。そして、あたしから視線をそらす。
 さっきまで学校の先生みたいに星のことを語っていた遠藤は、まるで何かいけない事を見られた子供のようにしおらしくなってしまった。

「何か凄く意外だな。遠藤がこんなにも星について知ってるなんて、あたし知らなかった」
「……それは言ってないから、誰にも。いや、言えないよ」
「どうして? 悪いことじゃないじゃん、星を見ることって」

 知らなかった遠藤を見てしまったことであたしは今までに無く高揚していた。
 まるで恋に恋していた中学生時代のように。
 初めてSEXをしたときのように。

「それに別に隠すほど恥ずかしくも、後ろめたくないよ。あたしと違って――」
「何で? 高校生にもなって星を見るのが趣味だなんてガキっぽいだろ」
「そんなことない」

 何か不思議なものに背中を押されるかのように遠藤の下に歩み寄る。
 熱を帯びた身体を冷ますように、帯びた熱をさらに焚きつけるように着ていたコートを脱ぎ捨てた。

「そんなこと、ないよ」

 一歩、一歩と彼が腰を下ろしているベッドへ近づく。
 視線を合わせないようとする彼に対して、あたしは彼の太ももをまたぐようにして彼の上に座り込む。
 そして彼の体温を確かめるように、彼の頭を抱きしめる。
 ギシリ、と彼とあたしの体重でベッドが軋む音が鳴った。

「……ヤメロよ」

 震えた子猫のようなかすれた声があたしの胸のほうから聞こえてきた。

「俺、したことないから」
「……オトコってしたいもんじゃないの?」
「知らない。少なくとも俺は、こわい」
「こわい?」
「ああ、こわいよ。……だって、他人のなかに自分を入れるなんてこと。どうして、できるんだ」

 彼は上目遣いであたしを見る。
 その目は恥ずかしさと、ドキドキと、あたしに対する恐怖感が混じった本当に子供みたいな、目。

「なぁ、藤原。俺が何で星を見るのが好きなのか分かるか?」
「キレイだから?」
「違う、手が届かないからだよ。……ガキみたいな理由だろ」

 あたしの胸の中で、遠藤はそう言った。
 子供といえば、子供みたいな理由だけど。なぜか、彼らしかった。
 だから、こそ。だからこそかもしれない。
 あたしが遠藤に対して感じたこの感情。
 彼が口にした『関係ないだろ』の言葉にあたしは感じたのかもしれない。
 多分、あの時から、もしかしたらずっと前から――

「そんなことないよ。遠藤はじっとしていていいから」

 あたしは遠藤と『関係』をしたかったのかもしれない。
 遠藤の額に軽く口付けをして、あたしはスカートのホックを外した。










「んっ、んむぅ、んぐ、ふぅ……」

 彼のモノを口に含む。
 あたしの舌が蠢くたびにビクンビクンと動く彼の身体と彼のモノ。
 初めてからこういうことしてもいいのかな、と思ったりしたけど、まぁいいか。これがあたしだし。
 それにこんなことしているからあたしの方も熱くなっちゃっているわけで、彼のモノを握っていない左手は自然とあたしのをいじくってる。
 口からも後ろのほうからも、くちゅくちゅ、とか、にちゅぐちゅ、なんて肉質的な音が響き渡る。
 あたしの愛撫で、彼のモノもあたしのも準備は万端になっていた。
 我慢できなくなったあたしは彼のモノを含むのを止め、彼にまたがった。
 右手で彼のモノをちょうどいい位置にさせて、左手で自分のを、くぱ、と広げる。
 位置を固定させて顔を上げて遠藤の顔を見ると、彼は息を荒げていた。
 その表情がたまらなくて彼の唇に自分の唇を重ねる。
 彼の唇を舌でこじ開け、舌と舌が三次元的に絡ませる。
 口の中から、くちゅにちゅ、と肉質的な音が広がってゆき、音が身体に染み渡るたびに自然とあたしの下腹部にえっちな液が溢れ出す。
 貪るようなキスを終えて唇を離すと、遠藤とあたしの間に唾液の架け橋が出来ていた。
 架け橋は重力に負けて、彼のシャツの胸元に落ちて染みとなる。
 遠藤とあたしの視線が交わった。
 あたしは言葉に出さずに「いい?」と目で聞いてみる。
 だけど遠藤は気持ちいいのか、初めての体験で緊張しているのか首を縦にも横にも振らない。
 沈黙は肯定と勝手に理解したあたしは遠藤のモノを、くぱ、とあけた自分自身に対して、突き刺した。

「あっ――はぁっ」

 肺の中から全部の空気が飛び出したような、一瞬の呼吸困難。
 彼の体温があたしの中に生まれる。
 温かくて、気持ちがいい。ジンジンする。

「うご、かして……いい?」
「う、うん」

 彼の返事を聞いて腰を動かす。
 縦横、上下、円の動き、全部使う。
 彼と一緒に、彼のモノでキモチヨクなりたいから、全部使う。
 あたしの動く分だけベッドは軋み。
 スプリングはより一層彼をあたしの奥へと誘う。
 奥に当たる、こつん、が気持ちいい。
 ぬるぬるがこすれて、頭が真っ白になってゆく。
 気持ちよさが凄くて、怖くて、遠藤を寄りかかる。抱きしめる。キスを貪る。

「ん、はっ……感じる、遠藤? あたしの中、感じる?」
「……う、ん」
「あ、あたしも……遠藤のがあたしの中で――」

 その瞬間、彼のモノが大きくなって――弾けた。
 彼の中から生まれた星があたしの中で燃え尽きる。
 熱さが自分の身体の中に広がってゆくのを感じつつ、あたしは遠藤の身体を預ける。
 遠藤も快楽の余韻からか力が入らなくて、あたしの身体ごと後ろへ倒れこんだ。
 ひくひくと身体が震える。
 痙攣がとまらない。
 遠藤をくわえ込んでいる場所も敏感になっている。
 今日のSEXは生涯で一番の達し方だった。

「はぁ、はぁ、はぁっ――はぁ」

 呼吸するのも辛い。
 このまま息を止めていたい感じ。
 どれくらいの時間こうやって倒れこんでいただろうか。一時間、十分、それとも一秒。でも、どんなことどーでもいいや。
 真っ白になった頭じゃよく分からないし。

「……なぁ、藤原。もう、抜いてもいい?」
「えっ、あ、うん」

 遠藤に言われて気づいた。
 まだあたし遠藤のを入れたままだった。
 余韻も途中に、あたしは馬乗りになっている遠藤から身体をどかす。
 ずる、って音が鳴るみたいにあたしから彼のモノが抜け落ちる。
 さっきまでの硬さがどこへやら、もうふにゃふにゃ。

「ごめん、ちょっとトイレ借りるね」

 いくらなんでもシャワーを借りるわけにいかないので、ウォシュレットのビデで我慢することにする。
 そう思って立ち上がると、不意に窓の外の景色があたしの目に飛び込んできた。
 広がるのは繁華街の光。
 一つ一つが煌びやかで、夜の闇に引き立っているみたい。
 窓の外をじっと見ているあたしに何かを思ったのか、後ろのほうから遠藤が話しかけてきた。

「ホントは、ここから星なんて見えないんだ。繁華街が、近いからネオンの光が邪魔して。望遠鏡を使っても、そんなに――」

 言われてから視線を上に移す。
 遠藤の言うとおり、星は見えなかった。
 真っ暗で闇色のカーテンをしているみたい。
 それだけど、

「ううん、見えるよ、星」

 そう、あたしは小さな声で呟く。
 だって、そこには地上で光り輝くたくさんのたくさんの星たちが輝いていたのだから。
 地上に光るネオンはまるであたし達みたいで、なんとなく空に光る星よりもキレイに見えた。
 だからかもしれない。
 不意にあたしの頬に一滴の涙が流れ落ちたのは。





 あたし達は空で光ることなんて出来ない。
 地上でしか光ることが出来ない、偽者の――星。



[END]